スタッフのチカラ

『ゆずり葉』のこと

2008年09月12日木部徹 , 小林睦人

『工房雑記抄』(『ゆずり葉』の前身)および 『ゆずり葉』は1982年10月から1986年5月までの約4年間、当時、日本書籍出版協会に在籍していた金谷博雄(かなや・ひろたか)の個人誌として毎月出版された。『ゆずり葉』に先立つ金谷の仕事には、1982年の訳・編『本を残す — 用紙の酸性問題資料集』 (かなや工房)がある。この小冊子と、『工房雑記抄』そして『ゆずり葉』の弛まない刊行により、日本の「資料保存」の新しいパラダイムが拓かれた。

 

■金谷博雄の仕事については以下を参照。

安江明夫 : <変革の保存学>序説 — ウィリアム ・ バローと金谷博雄(1986)

金谷博雄:永く残る本を–書籍用紙の耐久性を考える(1983)

金谷博雄:酸性紙問題私注 –図書館への期待(1984)

 

『ゆずり葉』は徐々に読者を増やし、発行部数は600を越えた。個人名での購入が多かったが(頒価 100円、送料60円)、依頼があれば公的な機関には無料で送付された。現在は個人での所蔵の他に、全国の公共図書館や研究図書館が所蔵している。たとえばNACSIS Webcat での検索では19の所蔵機関があがっている。また、株式会社ニチマイ様のご好意によりマイクロフィルム化もされている(非売品)。

『ゆずり葉』の判型はほぼB6。縦二段組み。号あたりのページ数は16~32。綴じは、『工房雑記抄』の初号は一括をステープラー(いわゆるホッチキス)で中綴じされているが、それ以降は一般には馴染みのない製本方法が採用されている。粘葉装の変形で、折丁(4ページ)を重ね、平の背の部分にごく狭い幅で糊をさして貼り合わせ、いちばん外の丁を鞍型に折り返して全体を包む、という製本である。

『ゆずり葉』という誌名は河合酔茗の同名の詩の表題から採られており、ゆずり葉』 初号(1983/1)の巻頭の「千善一(ちよかず)君へ」が事情を語る。全文を最後に載せた。

『ゆずり葉』の目次は以下の通りである。

 


工房雑記抄:1982/10 「和本:について 1
『アメリカ出版界の意識』の反響 3
『本を残す』きっかけ 7
『本を残す』にあたって 9

工房雑記抄 (2) : 1982/11
暮らしの「手帖」 1
用紙問題補遺 4

工房雑記抄 (3) : 1982/12
ある協働 1
「パピヨン」について 2
映画作品の保存状況について(佐藤忠男) 4
用紙の耐久性について 7
あれかこれか、ではなく 12
文献紹介 16

ゆずり葉 (1):1983/1
千善一君へ 1
アメリカにおける図書館資源の保存1956-1980 4
フランス-書物救助作戦 7
「図書館の旅」をふりかえって(植木・安江) 8
中性印刷紙『HYDRO-7』発売 10
文献紹介 11

ゆずり葉 (2):1983/2
図書館の書物を考える 岡野暢夫 13
製本小観 16
アメリカにおける図書館資源の保存1956-1980(連載第二回) 19
装丁ノート(栃折久美子) 22
細川本のコットン紙(吉田直弘) 22
文献紹介 23

ゆずり葉 (3):1983/3
西洋装丁史ノート1 岡本幸治 25
紙の劣化と保存(エズデイル本) 28
アメリカにおける図書館資源の保存1956-1980(連載第三回) 31
私信(寿岳文章) 34
タイム・マシン(ウエルズ) 34
文献紹介 35

ゆずり葉 (4):1983/4
和紙も例外ではない 37
革の朽敗と保存(エズデイル本) 39
西洋装丁史ノート2 岡本幸治 41
アメリカにおける図書館資源の保存1956-1980(連載第四回) 44
紙の変質(厚木勝基) 46
文献紹介 47

ゆずり葉 (5):1983/5
資料の保存の必要性(酒井悌) 49
紙の劣化とは(東京ミューズ巧芸社) 51
西洋装丁史ノート3 岡本幸治 53
アメリカにおける図書館資源の保存1956-1980(連載第五回) 56
崩壊する近代建築(馬場璋造) 59
文献紹介 60

ゆずり葉 (6):1983/6
コピーの科学的影響について 61
六月(茨木のり子) 62
西洋装丁史ノート4 岡本幸治 63
アメリカにおける図書館資源の保存1956-1980(連載第六回) 66
アルカリ系抄紙への考察 68
文献紹介 71

ゆずり葉 (6)別冊:1983/6 頒価¥50
永く持つ製本を 73

ゆずり葉 (7):1983/7
本の寿命を脅かすものは(矢野克明) 81
ほぼ2/3の出版社が無酸性用紙を使う〔米〕 82
西洋装丁史ノート5 岡本幸治 84
アメリカにおける図書館資源の保存1956-1980(連載第七回) 87
英国図書館での脱酸処理(金子富保) 90
文献紹介 91

ゆずり葉 (8):1983/8
提言・国立国会図書館の収集と保存 93
中性紙製造の考え方(日本紙パルプ商事) 96
西洋装丁史ノート6 岡本幸治 97
アメリカにおける図書館資源の保存1956-1980(連載第八回) 100
映画フィルムの保存、日仏二題 103
文献紹介 104

ゆずり葉 (9):1983/9
将来の出版物の保存 105
ひょうたん島やっぱり無理 108
西洋装丁史ノート7 岡本幸治 109
アメリカにおける図書館資源の保存1956-1980(連載第九回) 112
填料の目的(村井操・中西篤) 114
文献紹介 116

ゆずり葉 (10):1983/10
大量の古書を蝕む酸に科学的対策(サイエンス・タイムズ、1981年) 117
命はかなしテレビ番組(平原日出夫) 121
西洋装丁史ノート8 岡本幸治 123
無酸性紙での出版を〔討論・1976年〕 126
試験所の設置と製紙の検査(佐伯勝太郎) 129
文献紹介 131

ゆずり葉 (11):1983/11 頒価¥130
カナダ国立図書館での大量脱酸 133
アメリカ議会図書館における実験 138
ピノキオの災難 鈴木京子 139
西洋装丁史ノート9 岡本幸治 142
欧米出張復命書(真嶋襄一郎) 145
明治初期出版書籍洋紙試験成績表 147
文献紹介 148

ゆずり葉 (12):1983/12 頒価¥130
耐久性と耐用性 149
黒崎陽人『東洋蘭画集』奥付 152
アルカリ抄紙の利点 153
アルカリ抄紙転換の動機 157
西洋装丁史ノート10 157
図書館の壊疽(1978年『みすず』) 160
文献紹介 163

ゆずり葉 (13):1984/1
文献資料の保存と修復(フランス) 166
心よ 河本昭 169
角川春樹論 川口ひろ子 170
マイクロフィルムの処理と保存 172
光ディスクの寿命 178
文献紹介 179

ゆずり葉 (14):1984/2
ある覚え書き 金谷博雄 182
紙の大量脱酸について P・G・スパークス 183
修復について(フランス) 187
紙の変色除去法への提言 上 K・M・キイス 190
印刷物の保存に関する二、三の注意(矢野道也) 193
文献紹介 199

ゆずり葉 (15):1984/3
ケニヤ国立文書館の運営(安澤秀一) 202
はちかずき姫論 川口ひろ子 206
西洋装丁史ノート11 岡本幸治 208
紙の変色除去法への提言 下 K・M・キイス 211
韋駄天の脱酸法 金谷博雄 216
文献紹介 219

ゆずり葉 (16):1984/4
紙の水性脱酸(前) V・ダニエルズ 222
バロウ劣化文書修復法(1) 226
西洋装丁史ノート12 岡本幸治 230
硫酸アルミニウムはどうして酸性を示すのか 米山正信 234
韋駄天の溶液とスプレー 金山博雄 238
文献紹介 239

ゆずり葉 (17):1984/5
紙の水性脱酸(後) V・ダニエルズ 242
バロウ劣化文書修復法(2) 246
安寿姫論 川口ひろ子 250
スプレー法の装置と技術 252
亀井忠一翁を語る(K・S生) 254
文献紹介 256

ゆずり葉 (18):1984/6
クリエイティブ・ブックキーピング 258
梗概「永く残る紙の話」(クラップ)1 262
西洋装丁史ノート13 岡本幸治 266
バロウ劣化文書修復法(3) 269
用紙の印刷適性(前) 
鎌野亮二 272
文献紹介 276

ゆずり葉 (19):1984/7
生きた本を残したい 都職労日比谷分会 278
梗概「永く残る紙の話」(クラップ)2 280
西洋装丁史ノート14 岡本幸治 285
変身論 川口ひろ子 288
用紙の印刷適性(後) 鎌野亮二 290
文献紹介 296

ゆずり葉 (20):1984/8
「中性紙」のひとり歩き 池澤正晃 298
書籍の未来 G・グレアム 301
梗概「永く残る紙の話」(クラップ)3 305
西洋装丁史ノート15 岡本幸治 309
これ、かれを滅ぼさん(ユゴー) 312
文献紹介 316

ゆずり葉 (21):1984/9
和紙、洋紙、環境 矢延洋泰 318
ポリエステル・フィルム封入法 326
桃太郎論 川口ひろ子 332
梗概「永く残る紙の話」(クラップ) 4 334
木を生かし、木に生きる(西岡常一) 340
二十年後の「戦争体験」-わだつみ会と平和運動- 341
文献紹介 343

ゆずり葉 (22):1984/10
本の保存の新しいパラダイム 安江明夫 346
ある書誌学者の見解(前) フォクソン 351
梗概「永く残る紙の話」(クラップ) 5 356
カナダの国立脱酸処理施設 359
断水の日(寺田寅彦) 362
文献紹介 364

ゆずり葉 (23):1984/11
酸性紙問題ここだけの話 小林喬一 366
学術専門書出版の舞台裏 真島れい子 368
ある書誌学者の見解(後) フォクソン 370
炭焼女房論 川口ひろ子 374
梗概「永く残る紙の話」(クラップ)6 376
文献紹介 384

ゆずり葉 (24):1984/12
書物のプリザベーションに求められるもの 386
梗概「永く残る紙の話」(クラップ)7 393
パプア・ニューギニアでの森林伐採 398
まかり通るニセ文字ども 本田孟 400
大阪の夢 金谷博雄 403 文献紹介 404

ゆずり葉 (25):1985/1
「酸性紙問題」の現場を訪ねて 笹田研一 406
ある定点観測 原田淳夫 409
保存方針の作成 第一部 ジェンセン 414
ルドルフ・シュタイナー ① 佐藤公俊 420
しんとく丸論 川口ひろ子 424
文献紹介 428

ゆずり葉 (26):1985/2
印刷屋のひとりごと 竹若和雄 430
保存方針の作成 第一部 ジェンセン 432
革装本の保存(フランスの専門誌から) 437
ルドルフ・シュタイナー ② 佐藤公俊 440
ペーパー・パーマネンス ① 445
文献紹介 448

ゆずり葉 (27):1985/3
保存と日本図書館協会 金谷博雄 450
デンマークだより 坂本勇 454
ルドルフ・シュタイナー ②続 佐藤公俊 458
まかり通るニセ文字ども その二 本田孟 462
ペーパー・パーマネンス ② 465
文献紹介 467

ゆずり葉 (28):1985/4
《寄稿二題》小林喬一・こいずみとおる 470
修復に使われる接着剤と強化剤 475
ルドルフ・シュタイナー ③ 佐藤公俊 478
売られ考 川口ひろ子 482
大量脱酸-ウェイトゥオの道 スミス 484
文献紹介 491

ゆずり葉 (29):1985/5
テルモコラージュによる資料保存 494
国際化への視座 ① 矢延洋泰 501
ルドルフ・シュタイナー ④ 佐藤公俊 506
脱酸問答 スパークス/スミス 510
デンマークだより 坂本勇 514
文献紹介 516

ゆずり葉 (30):1985/6
『百科全書』本文用中性紙について 小久保光男 518
国際化への視座 ② 矢延洋泰 522
古事記考 川口ひろ子 526
ルドルフ・シュタイナー ⑤ 佐藤公俊 528
ペーパー・パーマネンス ③ 532
保存のための三大基準-利用・代替・価値- 534
文献紹介 539

ゆずり葉 (31):1985/7
デンマークの修復・保存の現場を見て 坂本勇 542
本の装幀伝統技術(再録) 増田勝彦 548
国際化への視座 ③ 矢延洋泰 552
ルドルフ・シュタイナー ⑥ 佐藤公俊 556
ペーパー・パーマネンス ④ 560
文献紹介 564

ゆずり葉 (32):1985/8
A・I・Cに参加して 坂本直昭 566
クラークソン 書物保存論 ① 570
国際化への視座 ④ 矢延洋泰 576
ルドルフ・シュタイナー ⑦(1) 佐藤公俊 580
鬼女論 川口ひろ子 584
文献紹介 588

ゆずり葉 (33):1985/9
〈米国規格〉印刷用紙のパーマネンス 590
クラークソン 書物保存論 ② 594
国際化への視座 ⑤ 矢延洋泰 600
ルドルフ・シュタイナー ⑦(2) 佐藤公俊 604
ペーパー・パーマネンス ⑤ 608
本をどんどん燃やしている(再録) 610
文献紹介 612

ゆずり葉 (34):1985/10
南方熊楠の神社・神林保存論 神林新 614
クラークソン 書物保存論 ③ 618
国際化への視座 ⑥ 矢延洋泰 625
ルドルフ・シュタイナー ⑦(3) 佐藤公俊 629
全く新しいものと言う幻想 中西隆紀 634
文献紹介 636

ゆずり葉 (35):1985/11
つれづれなる疑問のままに 二宮嘉須彦 638
IFLAシカゴ大会見聞記 こいずみとおる 642
クラークソン 書物保存論 ④ 647
国際化への視座 ⑦ 矢延洋泰 653
ルドルフ・シュタイナー ⑦(4) 佐藤公俊 657
ペーパー・パーマネンス ⑥ 661
文献紹介 664

ゆずり葉 (36):1985/12
地名の充実度について 呉林肇 666
姿消す書物たち J・ビガー 667
国際化への視座 ⑧ 矢延洋泰 674
ルドルフ・シュタイナー ⑦(5) 佐藤公俊 678
ペーパー・パーマネンス ⑦ 682
公共図書館という現場から 池田政弘 686
文献紹介 688

ゆずり葉 (37):1986/1
製本用革の劣化とその対策 木部徹 690
貧しき紙 R・ジョンソン 695
バルザック「幻滅」より(生島遼一訳) 699
国際化への視座 ⑨ 矢延洋泰 703
ルドルフ・シュタイナー ⑧ 佐藤公俊 707
文献紹介 712

ゆずり葉 (38):1986/2
ある小さな旅 嵯峨仁朗 714
紙の砂漠をはるばると 小林嬌一 718
「図書館資料の保存とその対策」二宮嘉須彦 720
国際化への視座 ⑩ 矢延洋泰 724
ルドルフ・シュタイナー ⑨ 佐藤公俊 728
思考は奪はれたのか 本田孟 732
文献紹介 735

ゆずり葉 (39):1986/3
わたくしの図書館現論 崎村俊夫 738
書物を救った男 スティーヴンズ 742
プリザベーションVS.コンサベーション 744
国際化への視座 ⑪ 矢延洋泰 748
ルドルフ・シュタイナー(最終会) 佐藤公俊 752
IFLA保存と修復の原則(1979年) 756
文献紹介 760

ゆずり葉 (40):1986/4
本当の名前 呉林肇 762
「記録」とその周辺 廣瀬睦 764
わたくしの図書館現論 (続) 崎村俊夫 767
国際化への視座 ⑫ 矢延洋泰 771
復活祭の瞑想 佐藤公俊 775
まかり通るニセ文字ども その三 本田孟 779
文献紹介 784

ゆずり葉 (別巻):1986/5
古い本のことから 祝部陸大 786
<変革の保存学>序説 安江明夫 791
金谷博雄の仕事 栃折久美子 800
最後のゆずり葉 金谷博雄 802
歴史の中の自分 川口ひろ子 804
わたくしの図書館現論 (完) 崎村俊夫 806
ニューヨークで保存を考える こいずみとおる 811
酸性紙問題問題は終わったのか 金谷博雄 814

 

千善一君へ     金谷博雄

ぼくが小学校を終えてから何年がたつのだろう。子供をもたないぼくが君を毎週一回この工房に呼んで、君が勉強をするのを見はじめて丸三年になる。君はもう小学校六年だ。最近は時々ぼくをからかったりするほどだから、君はもう立派な大人だと思う。この工房のことだって、これじゃただの物置じゃないか、もう少し片づけなよ、なんてぼくをしかりつけるほどだ。でも、工房というのはぼくの心のなかにあるもので、いいものを作る場所のことなんだ。そして君だっていままで、かなや工房のちゃんとした一員だったのだ、とぼくは思っている。

この秋、君が学校からいただいた二番目の教科書に、ぼくはあの「ゆずり葉」の詩を発見してずいぶんなつかしい思いにかられた。ぼくの場合は埼玉県北部の、たしか一学年で十二組もあった大きな小学校で、校庭には古い樹木がいっぱいあり、校門を入ったところにはゆずり葉の木が何本かあった。木には皆名札がつけてあったから、最終学年でこの詩を習うより前に、ぼくたちは自然にゆずり葉の木を知っていた。だからこの詩を教室で読んだ時、ぼくは何だかすごく親しい人にあったようにうれしく、詩が身体にしみ透って行くような感じがした。それは今でも思い出すことができる。

そんなわけでぼくは小学校には必ずゆずり葉の木があるものと思い、生徒は六年になると必ず「ゆずり葉」の詩を読ませられるものと考えていた。だがこの間人に聞いてみたら、意外なことにそうでない学校や、この詩をのせていない教科書もあるらしい。ぼくの年代に近い人でも「まったく習わなかった」という人が、結構多いのだ。そんな時は、急にその人がぼくから遠のいたような気がするものだ。今は修学旅行にお米持参では行かないだろうが、ぼくたちの時は手ぬぐいなどで作った袋にお米をつめて行った者と、そんなことがあろうとは夢にも知らなかった者とのふた通りがあった。もちろん、それはぼくらがどんな地域に住んでいたかによる。大人になっていろいろな地域の人と知り合ってはじめてその違いを教え合い、大笑いをするのだが、そんな時にもふとおたがいの体験の差異の大きさに気がついて驚く。ぼくの女房(女房というのは「女性の方の工房」を縮めた言葉だ。お母さんに聞いてごらん)などは、「ゆずり葉」を知らなかったし、お米を持って行くのはキャンプのことだとしか考えられない部類だった。

さて、君の教科書にその詩を見つけて、ふたりで声に出して読んだ時のことだ。どうも今のぼくには、その後半がいけなかった。「輝ける大都会も—–」あたりからだ。参ったね、「読みきれないほどの書物」だって。それを君たちにゆずるために大人たちは「一生懸命に造っています」だって。これはまずいよ—-ゆずれるものなんか—-荒野なんだからね、何にしろ—–。

それで、ぼくは『本を残す』のことを君に話したのだ。酸性の紙は五十年ぐらいで役にたたなくなってしまうということを。それに比べここにある手すき和紙は自然からの贈物で、千年も残るのだと。昨年の初夏にぼくが訳した『アメリカ出版界の意識』の底本(もとの本)は機械で作った洋紙だけど、酸性ではないから何百年かの寿命があるということなども言った。君は大人だから、「紙がぼろぼろになるなっていい所に、先生よく気がついたねえ」などとおだててくれた。(そう言っておいて、「また、間違いの本を売りつけているんでしょ」と、誤訳におののく人の心をぐさりと刺すのも忘れていない。) それでも、「それじゃ、この記念切手もだめなんじゃないの」なんて、惜しげもなくぼくを教育してくれるのだから、君には文句を言えない。「酸性いっぱいのボンド糊なんかも同じだよね。」

この『本を残す』の八頁(下段)にはこう書いてある。「故ウィリアム・バロウは、一九五九年にこう言っている。一九〇〇年から一九三九年の間に出版された本の四〇%がたいへんに傷んでおり、それらはただふつうに扱われたとして一九八三年までには使いものにならなくなるだろうと—–。」この文章を、一九〇〇年にお生まれの方(たとえば京都の寿岳文章先生)の立場で読みなおしてごらん。すると、先生は今年八十三歳だが、生まれてから三十九歳までにできた本の四割が今や本の用をなさなくなっている、ということなのだ。三十九歳なんて、君は自分の年齢の三倍もの大きな数字だと思うだろうが、実は、ぼくはこの一月にその三十九歳になるのさ。

「もう一度ゆずり葉の木の下に立って、ゆずり葉を見る時」—–それがぼくには来てしまったのだ。

 

ゆずり葉    河井酔茗

子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わってふるい葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって——。

子供たちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽の廻る限り
ゆずられるものは絶えません

輝ける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど—-。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時が来るでしょう。

 

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