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週替わりの工房風景をご覧ください。毎日こんな仕事をしています。
2021年6月3日(木)没食子インクで書かれた祈祷書の保存修復手当て
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破損箇所に貼られた粘着テープ
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インク焼けによる損傷
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ドライ・クリーニング
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本体と表紙の解体作業
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粘着テープの除去
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レッドロット処置
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スポットテスト
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第二鉄指示薬紙の反応
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水性処置の様子
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洗浄処置中・処置後の洗浄液の色の変化
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水性処置後の本紙pHの上昇
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破損個所―修補前
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破損個所―修補後
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ファイバーブリッジ法による修補
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処置後
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処置後
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処置後
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保存容器へ収納
京都大学東南アジア地域研究研究所図書室様より、貴重書の保存修復処置を承りました。対象資料は、フィリピン史学者の旧蔵書からなるフォロンダ・コレクションの祈祷書。1850年代に作られたと言われるイロカノ語の手稿本で、表紙に華やかな装飾が施された縦12cmほどの小型革装丁本です。本紙は、酸化・酸性劣化による変色と紙力低下で紙の柔軟さが失われているため、周縁や折り目に亀裂、破損、欠損が生じやすい状態でした。さらに、没食子インク部[※]と周辺の紙がもろくなり、‘インク焼け’による文字の脱落が部分的に起こっています。
[※]没食子インク:タンニンと酸化鉄が反応してできる黒いインク。没食子インクによる紙の劣化は‘インク焼け’(ink corrosion)と呼ばれ、インクの主成分である鉄イオンと硫酸の触媒作用によって引き起こされる。
この資料は、デジタル化を含めて今後も活用され続ける大変貴重な資料であることから、長期保存のために劣化要因を取り除き、閲覧の際に不安なく利用できるよう修補を行いました。
保存修復処置工程
①事前調査:資料の基材やイメージ材料へのスポットテスト、処置で使用する水溶液や有機溶剤に対する耐性を確認した。
②ドライ・クリーニング:先端が柔らかい刷毛で資料表面の埃や塵を取り除いた。
③解体、粘着テープ除去:綴じ糸を切り本体を解体して表紙を取り外した。破損箇所に貼られた粘着テープを除去した。
④レッドロット処置:表装の劣化した革にリタンニング処置を行い、HPC(ヒドロキシプロピルセルロース)のエタノール溶液を刷毛で塗布し表面の状態を抑えた後、保革油を塗布し馴染ませた。
⑤水性洗浄、抗酸化処置、脱酸性化処置:①のスポットテストの結果から、使用する水溶液への耐性が確認できたので、洗浄、脱酸性化処置、抗酸化処置を行った。インク等の書写材料と本紙の破損状況を考慮し、水性処置はクリーニング・ポケット法(浸漬法)で行った。逆浸透膜(RO)水に水酸化カルシウム水溶液を加え弱アルカリ性(pH7.5〜7.8)に調整した洗浄水に浸漬し、汚れや可溶性の酸性物質が出なくなるまで、一定時間おきに洗浄水を替え繰り返し行った。洗浄後、フィチン酸カルシウム水溶液による抗酸化処置を行った後、炭酸水素カルシウム水溶液に浸漬し脱酸性化処置を行った。処置後は第二鉄指示薬紙の反応が無くなり、十分なキレート効果を確認できた。本紙の処置前のpHは平均2.5、処置後は平均7.3まで上昇した。
⑥修補:染色した和紙(楮)で破損が拡大する恐れがある箇所やインク焼けの剥落部を重点的に、ファイバー・ブリッジ法(和紙を繊維状にほぐしたもので損傷部分を繋ぎ留める)で修補した。
⑦保存容器への収納:本紙への負担を考え、綴じ直しは行わずに保存容器へ収納した。
現在この資料は、高精細なデジタル化撮影を経て京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開されています。
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『prayer book in Ilocano』
この度の事例紹介にあたり、京都大学東南アジア地域研究研究所図書室様より掲載のご協力をいただきました。誠にありがとうございました。